ここは天国じゃないんだ、かといって地獄でもない。

僕は今、福島県にいる。福島の郡山。世の中はコロナ、コロナ、コロナ。コロナパニック。

僕は昨日夜家を飛び出して、東武アーバンパークラインで大宮まで行って、そこから新幹線に乗って彼女が住んでいる郡山まで飛んで来た。

コロナで土日の予定が吹っ飛んだというのもあるし、予定を吹っ飛ばしたというのもあるし、今いろんなことが積み重なって何がなんだかわからなくなっているし、とにかく彼女に会いたかったというのもある。

今、僕の隣にはこないだから付き合い始めた彼女がいる。21歳になった途端にできた彼女だ。さっき彼女が運転する車でスタバまでやってきて、今僕がこの文章を書いている横で彼女は中国語の勉強?をしている。スタバよりコメダに行きたかったのだけど、誕生日にスタバのドリンクチケットを友達からもらったのを思い出して、スタバの方がいいだろうということになった。700円まで無料だけど、ベンティーサイズは頼まずにグランデのキャラメルマキアートを頼んだ。少しばかり大人になった。

この間、自分の会社の廃業を決め、そのことをtwitterに書くと何も知らないクソ野郎から適当なことを書かれ、それに対して僕も言われっぱなしは嫌だったから、言い返した。ムキになって言い返せばあっちの思う壺なのはわかっているのだけど、今俺は苦しいのに、そこに漬け込むように自分を攻撃してくる人間にどうしても腹が立った。

「情報商材屋とつるんでる」だとか、「篠塚は変わった」だとか、何も知らないくせに匿名アカウントで叩いてくる人間に腹が立つ。こういうことに腹が立っている自分はダサい。こんな風に好き勝手生きていたらそりゃいろんなことを言われるのが当たり前だし、去年の6月からずっと言われ続けていることだし、何を今更って感じなんだけど、多分今の俺には余裕がないのだろう。俺は一体何を焦っているのだろう。何を言われたところで俺はもう自分の人生を全うすることをやめないし、今まで通り自分の道は自分で切り開いていくだけなのに、俺は何に苛立ち、焦っているのだろう。

たくさんの人の前で強がって、強い言葉を並べているけど、結局のところ俺は何も変わっていない。変われていない。そんな気がして、自分に嫌気がさす。ずっと自己嫌悪だ。あの時こうしていれば、あの日に戻れれば、そんなことを毎日くよくよと考えている。そうしたところで何も意味がないというのは痛いほどわかっている。僕が今しなければいけないことは、「過去は変えられないけど解釈は変えられる」この言葉を握りしめ、また前に進むということだけだ。倒れるくらいなら前に倒れるのだ。一生懸命生きている人たちと同じ土俵に立っていたいから、俺は一生懸命に生きなければいけない。俺は生きなければいけない。もがき続けなければいけない。余裕がなくて上等。俺はダサくて、不細工で、不器用な生き方しかできないんだ。高校生の頃、大学四年になれば(留年したから三年だけど)、もっと大人になっていると思っていた。結局ずっと悩み続けている。俺はどうしたいのか、どうやって生きたいのか、どうやって死にたいのか、誰と一緒に生きていきたいのか、何もかもにまだ答えが出せないし、当分出せそうにもない。こうやって適当に言葉を並べることしかできない。未来の自分に向かって手紙を書くことしかできない。確か1年前もこんな感じで文章を書いた気がする。

恥の多い春休みを送ってきました。

自分には、長期休みを有意義に送るということが、見当つかないのです。やるといっていた中国語の勉強もろくにせず、教習所にもろくすっぽ通っていません。

台湾研修から帰ってきてからというもの、毎日怠惰な生活を送り、することといえば、オナニーとクレヨンしんちゃんの映画を見ることくらいです。

夜は相変わらずフライングガーデンで働いています。働き終わると、家に帰ってクレヨンしんちゃんの映画をみて、途中で、AVで抜いて、そしてまたクレヨンしんちゃんの映画を見て途中で寝落ちします。

そして朝起きると昼です。12時は軽くすぎています。この世に朝という概念は存在しないかのように思えます。アラームをかけない生活というのはあまりにも素晴らしすぎます。そして、クレヨンしんちゃんの映画を最後まで見て、満足すると、また眠ります。二度寝三度寝どころの騒ぎではありません。七度寝はします。もう身体も睡眠を求めていません。しかし、何もから逃げて僕は眠り続けます。

夕方五時になるといい加減目を覚まして急いでシャワーを浴びます。そして髭を剃って髪の毛をセットしてチャリをかっ飛ばしてバイト先に向かいます。そしてまた爆弾ハンバーグを運ぶのです。

そうそう、自分はつい先日ハタチになりました。ハタチになってからというもの、どういうわけか、文章を書く気にも読む気にもならず、何も考えないで生きていました。そして残ったのは言い様もないモヤモヤ感です。だから僕はこうして焦ってもがきながら文章を書いているのです。たぶん文章を書かないと自分は死ぬまでモヤモヤするんです。

ハタチになってから、と言いましたが、正確にいうとハタチになる前から文章を書く気になりませんでした。というのは僕は自分の書いてきた文章を見返してさめた気持ちになってしまっていたのです。自分は、19歳の夏からなんだか人が変わったかのように生きていました。過激な思想をかかげ、そしてホリエモンや箕輪孝介といった人間の影響を多大にうけ、「何者」かにならなければいけない、そのために他の人とは違う個性を見つけなければいけない、そんな風に考えていました。そしてそれからというもの、バカみたいにヒッチハイクを重ねたり、一人で色んなところに旅に出ました。もちろん旅は毎回刺激的で面白いものでした。それは別に全く否定しません。しかし、僕は自分探しばかりしていたような気がするのです。色んなところに旅に行くことで存在し得ない自分を見つけようと躍起になっていたのです。自分探しの旅なんて言って、一人旅しても別に自分なんて見つかりません。僕は本当の自分を押し殺して、もう1人の過激な自己を見つけてしまいました。そしてあたかもその人格が本当の自分であるように思い込み、そして周りの人間に思い込ませました。

今、僕に求められていることは自分探しではなく、自分なくしなのだと思います。繕ってしまった虚像の自分をなくすことで、本当の自分を取り戻せるような気がするのです。

でもここで1つ考えなければいけないことは、そのもう1人の人格は果たして本当に虚像だったのかということです。虚像にしてはあまりにも出来すぎていた気がします。きっとそれは決して偽りの自分ではなかったのです。自分の中にそういった自己は確かに眠っているのです。でも自分は、その「自分」でいることに大変嫌気が指しているのです。

僕達は別に「何者」にもならなくていいと思うんです。「一度の人生だから何者かにならなければいけない」という言葉に対して僕達はこう反論できます。「一度の人生だから何者かにならなくていい」

アルコールを取ってきます。

人と違うってそんなにいいでしょうか。普通ってそんなに嫌なものでしょうか。

自分は「普通」という言葉を極端に恐れて、「特別」であろうとしました。

でもよく考えてみれば、自分は普通の家庭には生まれず、何度もそのことで悩んできました。父は精神病を患っていて、そしてそれが原因で何度も中国人の母親と僕は泣いてきました。

だからこそ自分はあんなに必死になって大学受験の勉強をして、それで‘ いいところ’に就活して、お金を稼いで母親を楽にしたいと思ったのです。それがいつからかくだらない意識高い系の人達の意見に惑わされ、普通の人生を送ることを拒絶しようとしていました。

でも自分は普通に結婚して暖かい普通の家庭を築きたいのです。そして子供を2人作って、その子供のために毎日足を臭くしながら文句言いながらビールを飲みたいのです。僕の理想は野原ひろしです。野原ひろしが1番かっこいいんです。

僕は以前大人になった時に「あの頃はよかった」だなんて居酒屋で語ってるオヤジにはなりたくないと言っていました。でもそれは違いました。学生時代を懐かしく語る時間って全然ダサくなくて、すごい素敵な時間に思えませんか。

「できっこないをやらなくちゃ」といってたくさんの「できること」を無視して19歳を生きました。その結果すぐ身近な人間をたくさん傷付けました。100人から嫌われても1人から好かれたらいいだなんて当時は言っていましたが、人に嫌われるということはやはり相当心にくるものです。

その人たちに素直に謝ることができればいいのでしょうが、自分にはその勇気がありません。

「できっこないをやらなくちゃ」なんて言いながら、謝ることもできないなんて笑うこともできません。ハタチになった今、自分に求められているのは「できっこない」をやることではなく、「できること」を一つ一つ一生懸命にこなしていくことです。

オトナってのはなろうとしてなるものじゃなくて気が付いたときになってるものなんでしょうか。自分にはまだまだわからないことばかりで、まだまだクソガキです。遊戯王を毎日友達とやってたちんげが生えてなかったあの頃となんにも変わっていません。

とにもかくにも僕はささやかな日常を吐きそうになるくらい大切にこれから過ごします。

というわけでオトナ帝国見直してきます。

ピース。

何者かになろうともがいて書いた文章。ちょうどこの文章を書き終わった後くらいにベーシックインカムシネマズの企画を知って、それに応募したらたまたま通って月20万円もらいながら生活することになった。20歳の俺はもう本当にわけがわからなかった。自分でも自分に追いつけなくなっていた。いろんなことが整理できないまま無我夢中で思いつきで生きた。たくさんのことを得たし、学んだことも多かったと思う。その一方で、過激な自分を取り繕い、失ったものもたくさんあっただろう。失ったものに目を向ければ、僕はとんでもなく憂鬱になってしまう。

今あるものに目を向けよう。この一年必死に生きたから、得ることができたものに目を向けよう。今一緒に生きてくれる人を見つめよう。どんだけ俺が落ち込んでも「大丈夫」と言ってくれる人を見つめよう。俺は一人じゃない。独りじゃない。俺には明日がある。絶対に明日がある。

絶望に嘆いても何も進まない。今あるものを大切に、今を生きよう。目の前にあることを一生懸命にやろう。もがきながら生きよう。考えることを続けよう。泥臭くても生きよう。そうすることができたら、俺には明日があるだろう。

ピース。