WE ARE LONELY,BUT NOT ALONE.

今日もずっと家にいる。昼に起きて、本を読んで、同居人が作ってくれたナポリタンを食べて、また本を読んで、途中でハウスパーティーで友達と話して、今ブログを書き始めている。

コロナウイルスは思ったよりも猛威を振るっていて、大変なことになっている。最初の頃は別にビビるほどのものではないと舐めていたが、どうやらそういうわけにはいかないみたいだ。僕たちは歴史的過渡期を今過ごしているのだろう。

昨日から今日にかけてコルク代表の佐渡島さんの『WE ARE LONELY,BUT NOT ALONE』を読んだ。現代の孤独について、そしてその孤独と戦っていくためのコミュニティーについて考え抜かれていて、読んでいて面白い。

今、インターネットで誰もが自由に発信者となっている。僕もそうだ。僕は間違いなく、インターネット、SNSがあったからこそ、目立つことができた人間だし、SNSがなかったらと思うとゾッとする。

だがSNSによって疲弊することがあるというのも紛れもない事実だ。行動基準が「SNSでウケるか」どうかになる危険性もあるし、全く顔も名前も知らない人からいきなり容姿のことを叩かれたり、SNSがオープンすぎるが故に、ちょっとした悪意のない発言が誰かを傷つけてしまうということもしばしばある。

誰かが幸せそうに旅行してたり、美味しそうなものを食べていると羨ましくて嫉妬することも皆あるだろう。僕もある。他人が何していようが自分には関係ないのにどうしてもSNSでは流れてきてしまうものだから、そこから抜け出すことは難しい。隣の芝生はいつだって青いのだ。確固たる「自分」を持っていないと、他の人のことを妬ましく思ってしまう危険性がある。要は、「お前はそれでいいや」と常に言い放つ勇気がなければ、SNSは危険だということだ。

それでもSNSには可能性がある。僕はその可能性をこの一年間で身体感覚で味わった。一円にもならないくだらない下ネタをブログに書いていたら、それが少しずつ読まれるようになって、大学に通報されたことで一気に知名度が広がった。それ以降、雑誌の取材、ラジオ出演、テレビ出演の話が来るようになり、気がつけばツイッターでもフォロワーが二万人以上いる。何か教えて欲しいといえば誰かが教えてくれるし、尖った発信活動をしていなければ出会うことのなかった人に会いまくっているし、今付き合っている彼女だって僕が何者かあるか、そして何者になりたいのか、をオープンに言っているからこそ出会えた人だ。

だが、SNSは僕を孤独から救ってくれたかというと実は全然そんなことがない。毎日夜は寂しいし、たまらない気持ちになることが多い。

ここで自分に言い聞かせたいのだ。「WE are lonely,but not alone」だと。

要するに、どれだけ人と繋がったところで、応援されたところで、孤独からは抜け出せない。僕たちはそれぞれ孤独だと受け入れ、孤独から逃れることを諦めてしまった方がいいと思うのだ。みんな100パーセント理解し合うことなど不可能なのだし、出会いもあれば別れも必ずあるということを受け入れなければいけない。だけど、一人で孤独を味わう必要もない。つまり、ここでコミュニティーが必要になってくる。同じ方向を見て、一緒に孤独を共有していける仲間がいるかどうかがめちゃくちゃ大事だと思うのだ。今、僕の周りにはそういう人がいる。たくさんではないけど、確かにいる。テンションだけで付き合うのではなく、モチベーションで付き合ってくれる人がいる。家族以外にそういう人たちがたくさんいて、いやむしろ家族以上の関係を築けている人がいる。その人たちを僕はファミリーという。僕はよくファミリーという言葉を使う。それをこの間ツイッターで「ファミリーなんて言葉を使う奴は胡散臭くて、宗教っぽい」と書かれた。胡散臭くて上等だ。そいつにはこの感覚がわからないのだろう。葛藤を抱えながらなんとか前に進もうと生きている人間がそばにいないのだろう。

僕のことを強い人間だと思っている人はたくさんいるだろう。メンタルお化けだとよく言われる。だけど、実際の僕を知っている人は全く僕のことをメンタルが強いとなんて思っていないだろう。すぐ憂鬱になるし、前を向こうとは頑張るけど、どうしてもネガティブになってしまうことも多い。それをポジティブに変えていこうとなんとかすることは僕は得意なだけで、全然強くなんかない。

「強い人間なんてどこにもいやしない。強い振りのできる人間がいるだけさ」

佐渡島さんの本に引用されていた『風の歌を聴け』の一節だ。全くこの言葉通りだと思う。

僕は弱い人間だ。強い言葉でしか自分を保つことができない人間だ。だけどそれを受け入れよう。なぜなら、僕たちは孤独だけど、一人じゃないからだ。

ピース。